幸腹グラフィティについての疑問
・みんなで食べる料理はおいしいのか
(完全なる主観でお送りします)
幸腹グラフィティを読むと、「誰かと食べるごはんはおいしい」(単行本1巻p20右2)などとの記載があるが果たしてどうだろうか。
嫌いな人と食べるのは当然おいしくないであろうし、微妙な関係の人とも気をつかう分おいしくはないと考えられる。では、良好な関係の人との食事についてはどうだろうか。
・おいしさと楽しさ
確かに、効用の面を考えれば複数人での楽しい食事が良い可能性もあるが、味について考えればより集中して食べられる一人での食事のほうが良いのではないだろうか。
主観ではあるが、仲のよい友人と食事をしたところで、楽しさはあってもその料理が普段よりおいしかった記憶がない。むしろ、おいしかったからと一人で再訪した時のほうがより集中できておいしかった覚えがある。どうしても会話に気が向いてしまうため、味への感性が損なわれてしまうのではないだろうか。
・幸腹グラフィティの例外
では、なぜ幸腹グラフィティでは「誰かと食べるごはんはおいしい」となるのか。
1巻の序盤を再検討したところp10右4において「ごはんがまずいです…!」とある。一人で食べるごはんの効用が負であるのである。
ごはんがおいしくないことを例に上げて考えてみれば、いつ電話が来るかわからない昼休み、時間がなく急いで食べる必要のある朝、翌日が憂鬱な日曜の夕飯などがあげられ、気分が悪い時や落ち着かない状況ではごはんもおいしくなくなると考えられる。
そう考えると、この時のリョウは一緒に暮らしていた祖母が亡くなり一人でごはんを食べることが寂しく気分がすぐれないために、きりんらと二人で食べたほうがおいしかったのではないか。
それなので、作中においては「誰かと食べるごはんはおいしい」のであろうが、現実問題としては一人で食べようが寂しくはないのでご飯は一人で食べたほうが集中できておいしそうである。
一人焼肉したい。